アジアワールドワークで

1996年の夏にサンフランシスコで アジアワールドワークというテーマで ワークショップが開催されました。 その時の体験で、とても印象に残っている ことが有ります。 ワークがさまざまな方向に流れるうちに、 私が立ってる目の前で、ある2人の中心的な プロセスが展開していました。

わたしはしっかりとその場に 自分自身のままで、ただ立っていたのですが、 なんとなく、自分の立ってる位置というか フィールドが、一般的にワークショップでは セラピストやプロセスワーカー、ファシリテーターの 立つ位置である感じがしてきたのです。

前の二人も、激しいプロセスが一山ついて そういう役割を期待したような感じが しました。

「あ、自分にはまだそういう役割は この何十人という人の前では できないなぁ、荷が重いなぁ」 と思ったりもしました。

それでもそこにしばらく居ると 自分の自然なファシリテーター的 本能のような物が活性されたような 感じがして、特に何をしたという わけでは無いのですが、私の 周りのフィールドに、ファシリテーター的 場が形成されて、なんとなく 目撃者的な機能がちゃんと その場に働いて居るような 感じがしました。

わたしは基本的に、目の前で起こる ことに、一緒に居ようと していたのですが、ふと気が着くと 左右に、アーニーとエイミーが 立っていました。

あれ? そこで私は次のようなことを考えたのでした。

普段セラピーやワークは セラピストが主体となって 行われると私は考えていたけれども、 ワールドワーク的な視点で 見ると、このセラピストという役割は ポール(極)の一つに 過ぎないのではないか。

それに、やっぱり クライアント側も、セラピスト的 役割をドリームアップするなぁ ということでした。

by transpop@bekkoame.ne.jp